アラフィフになって考える理想の体型

美と健康は足裏のバランスから

10年ほど前、mixiのコミュニティを立ち上げました。

「美と健康は足裏のバランスから」

私の提唱した言葉ではありません。 切らずに治す外反母趾等の書籍で有名な笠原厳先生の著書の言葉です。最近は「浮き指が危ない」ということでテレビでもお見かけしますね。

肩こり・腰痛は足の「浮き指」が原因だった!  98%は足裏から治る

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私は笠原先生の理論に大いに共感し、納得しました。 当時の私は、その言葉や現象通りの身体でした。

どのように成長したか

小学生の頃から身長が高く、10歳まではマッチ棒のようにひょろっとした体型でした。小学5年生のときには156cmまで身長が伸びてました。 小学4年生までは運動神経があまり良くない印象でした。俗に言う「ウドの大木」状態。それでも、小学校5年生からバレーボールを始めてしまいました。今から考えると遅咲きすぎですね。

同級生は1年生からとかしているもう出来上がってるチームにウドの大木が投入されたわけです。 大人はウドの大木でもバレーボールという競技ゆえ、身長の高さを好みます。そこから私はみんなに追いつくために元来持っていた「負けず嫌い」を発揮し始めます。

ウドの大木は本当に筋力がありませんでした。今でも監督さんに「前の方でスタートして一番最後だったもんな。」と言われるようなこともありました。 腕立ての姿勢であざらしのように前に進むというトレーニングでした。体育館を1周するだけでしたが、その間に1年生の子にも抜かれたわけです。 それでも成長期でもありましたから卒業時には女子プロレスラーのような筋肉隆々の体型になっておりました。

元々運動神経は悪くなかったのか、そこから体育の成績で5以外をもらうことはなくなりました。

中学生時代は適当にバレーボールを出来ていたので、身体を壊す要素はなかったと思います。ここまで怪我をしたこともなく・・・ そんなことはないですね、中学1年時に両膝の関節痛に悩まされます。両膝一緒ですから歩くのも本当に大変でした。怪我というより全身の関節が痛み出しました。原因はわかりませんが。

高校は県内のこれから関東大会までは常連校に呼ばれます。 この頃にはウドの大木でもなく、筋肉でたくましい女子高生?になってました。

1年生の頃は、自律神経失調症状態で悩みます。これも今思えば、身体が壊れてきた最初のSOSだったのかもしれません。 2年になる春から突然、怪我をしはじめます。2年生時には骨折2回を含め、怪我をしていない期間が1ヶ月ないような状態でした。

3年生になればすぐ引退でしたので怪我をすることはなくなりましたが、夏休みに受験勉強に入ってしまった中、練習に駆り出されて半月ぶりに動いただけで足に力が入らなくなるくらいの筋肉疲労になりました。そこから、人生初めてのダイエットをし、夏の間に10kg近く落としました。

受験写真を撮ったらガイコツみたいな自分の顔に、「嫌だ」と思い、卒業時にはまた女子プロレスラー体型でしたが。

身体が壊れる

卒業して短大時代にも少しはバレーボールをしましたが本格的にすることはなくなりました。 社会人になり、区民センターでやっている練習会とかにたまに参加する程度でした。 23歳の時、突然壊れます。 会社で突然「椎間板ヘルニア」を発症しました。 何をしていてというのもなく、前に屈めなくなっていたという感じ。 会社から駅3つの距離でしたが、途中で気持ちが悪くなって下車したくらいでした。その時も自分に何が起きたのかわかりませんでした。 最寄り駅の整骨院に行ったところ、「椎間板ヘルニア」だと思うから整形外科で写真撮っておいでと言われます。 紹介された整形外科に行き、レントゲンを撮ったらやはり「椎間板ヘルニア」でした。その当時、ロフト付きのワンルームに住んでいたこともあり、日常生活が出来ないので入院することに。

月島のIHIの組合病院へ入院しました。

当初、2週間の予定でしたが、結局3週間を過ごしました。 手術をするほどではなかったので、まだ良かったのかもしれません。背中に麻酔の注射をしてからブロック注射をします。麻酔をしているのに、神経に針先が当たると脳天に電気が流れる、そんな感じでした。ブロック注射で出っ張った椎間板を溶かしていたんでしょうね。

退院後、リハビリとしてプールへ通い、歩きました。が、なかなか痛みが取れませんでした。 退院後2ヶ月目くらいに社員旅行で北海道に連れて行かれました。そこに悲劇がありました。 ふかふかの布団に寝た途端、立てなくなりました。そこから四つん這いではいずりまわってました。

それでも、半年後くらいに会社のイベントでボーリングをしたところ、痛みがなくなりました。過保護になりすぎていたのかもしれませんね。

が、私の壊れはこれで終わりませんでした。